ディートリッヒと歩いていく途中で、士門の憂鬱な気分なんてとっくのとうになくなっていた。
だが、どこへ連れて行かれるんだろう、という好奇心が新しく士門の中に湧いてきていた。
結局、士門がディートリッヒに連れてこられたのは、チェーン店っぽいレストランだった。
レイジローに違うファミレスへ行かされた時にも軽く見たが、やはり、こういう建物は日本の物と似ている。士門の天国で感じっぱなしの緊張が、軽く緩んだ様な気がした。
ディートリッヒが店員に2名と伝えて、2人は入口近くのテーブル席にお互い向き合う様に座った。
メニュー表を机の上に広げて、ディートリッヒは士門へ明るく言葉をかける。
「どれにしますか? 代金については、私が奢りますので、自由に選んでください」
「あ、ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて……」
士門はそう頭を下げた後、メニュー表を覗き込んだ。
……全て見たことのない料理である。名前も聞いた事がない。天国特有の料理なのだろうか。住んでいる所が違うのだから、文化も違って当然と言うべきなんだが、このメニュー表自体、士門には日本語に見えているし、ディートリッヒとも日本語で話せているのだからそこらへんのズレは……いや、そんな事よりも、士門は目の前の怪文書の様な物に頭を悩ませた。
「士門さん、決まりましたか?」
すると、ディートリッヒにそう聞かれ、士門は咄嗟にメニューの写真を見漁る。
「じゃあ、これで」
士門がそう言って指さしたのは、サンドビルという目玉焼きが上に乗っかっているらしいサンドイッチだった。
「分かりました」
ディートリッヒは微笑み、メニュー表を畳む。
そして通りすがった店員を呼びつけ、注文した。
「すみません、サンドビル1つと、カスーワ1つ、お願いします」
「かしこまりました」と、店員は奥へと向かっていった。
ディートリッヒが士門へ問いかける。
「泊まる所はありますか?」
士門はギクっとした。
何も考えずアリッサに『天国に残る』と伝えてしまっていたが、泊まる場所などない。アデヌやレイジローはなにか考えてはいたんだろうが、2人は今治療室で眠ってしまっている……。
士門が悩んでいると、ディートリッヒは言った。
「もしないなら、私と同じ部屋に泊まりましょうか。騒がしいですけど」
「いやいや、そんな……」
士門が首を左右に振って遠慮すると、ディートリッヒは突拍子もない言葉を発した。
「私は、アリッサ様の様になりたいんです」
「え?」
士門が困惑していると、ディートリッヒは語りだした。
「私とアリッサ様が出会ったのは、30年前の事です。その時も……あんの忌々しきベルタが……1つの街を襲っていました。」
ベルタの名を呼ぶその声は力強く、恨みがこもった物だった。士門は先程までの優しい声色のギャップに驚いたが、彼の声は力が抜ける様に優しい物へと戻った。
「……私は、その街の孤児院に住んでいたのですが、壊されてしまい……そんな時、アリッサ様は拠り所のない混血の私を拾ってくださったのです。まだ私が幼すぎて戦えず、寮も取ってもらえない間は、お、同じ部屋に泊めてくださっていまして。あの方の様に、私も困っている人に手を差し伸べたい。」
士門はその話にやっぱり納得がいかなかった。
純血過激派らしいアリッサが、孤児だとはいえ混血のディートリッヒを拾って、ホテルの料金を払うとかの面倒を見たという事が信じられないし、理解もできない。そして、ディートリッヒがどうしてアリッサをそこまで尊敬しているのだろうかも、謎である。
「……ありがとうございます」
士門は、それを顔に出さない様に、うなづく。
最初こそ優しい人物という印象を持ったが、なんだかこの短い時間にアリッサの狂信者的な物に変わってしまった。だから、逆上されるのでは、と考えてしまった。
士門の言葉を最後に、2人の会話は途切れ、気まずい時間がしばし流れる。
そんな時、トレイを片手に乗せたウェイトレスが2人の元へやってきた。
「こちら、サンドビルとカスーワです」
ウェイトレスはテーブルの上に2つのプレートを置く。
士門はどっちがどっちだが、全く分からなかったが、ディートリッヒが片方の皿を士門の方へ寄せてくれた。
「あ、ありがとうございます」
士門は反射的に、早口でそう言った。
すると、ディートリッヒは両手をあわせて、目を瞑って祈った。
「天のお父様、ここに備えられた食事を感謝します。私達の肉の糧として、日々必要な食事を備えて下さる事に今感謝いたします。これからいただく食事が私たちの血となり肉となり、貴方様の為により一層奉仕する力となりますように。そして、呪いの為、病気の為、貧しさの為、食べることのできない人々をどうかあわれんで下さい。アーメン」
とりあえず士門はそれに続く。
「ア、アーメン」
やはり天使だし、祈りとかするのか。気を取り直して、士門は目の前の料理を手をつけた。
カスーワやらサンドビルだが知らないが、士門の目の前の料理は、具材の見えない3段サンドウィッチの上に、味つけなどされていないであろう目玉焼きが乗っかっていた。写真との違いはほぼほぼない。
食べ方は全く分からない。サンドイッチっぽいが、上に目玉焼きが乗っかっている為、掴んでかじりつく……というのはさすがにないだろう。
テーブルの隅の入れ物に入っていたナイフとフォークを取って、小さく切ってみると、トロトロの黄身と、パンに挟まれた2種類のソースが溢れ出す。
士門はディートリッヒの方を見て、変に思われていないか確認するが、そんな様子はなさそうだった。多分、この食べ方であっているはず。
口に含んでみると、中に挟まれていたソースというのは、細かい鶏肉や豆が入ったどちらかと言うとスープに近い甘いトマトソースと、塩っけの強いチーズソースで、まあ士門にも受け入れやすい味である。だが、なんというのか、味が濃い。卵の味は全くせず、うっすらと卵黄の風味がするのみだ。食感はあまりおもしろい物ではないが……とにかく味が濃いので、量はあまり大きくないのに沢山食べた様な気がする。
「おいしいですか?」
ディートリッヒにそう聞かれ、まずい訳でもないので士門はうなづく。
「はい」
ディートリッヒに目をやると、拳2つ分の大きさのパンを、小皿に入ったソースにちぎってディップしながら食べていた。
あれ以降会話なくきまずいまま、2人は食べ終わると、ディートリッヒは立ち上がって士門に問いかける。
「さて……なにか必要な物はありますか?」
士門は思い出す。天国に来た時は、すぐに人間界へ帰るつもりで。何も持ってきていない。
察したディートリッヒは笑った。
「大丈夫ですよ。買ってあげますから」
「本当、スミマセン……」
***
「この神殿は、天使達の仕事場・寮・祈りの場など、様々な役目を背負っている、とても大切な場所なんですよ。天国といっても神殿は3つしかなくて、ここは2つ目なんです」
士門は「へぇー」と声を漏らす。『同じ部屋』と言っていたし、なんとなく予想していたが。
2人は、重たい紙袋を両手で持ちながら、神殿の地下の廊下を歩いていた。
外はもうすでに夜であり、吸血鬼に襲われているとは信じられないほど平和な天国をぶらりとまわって、士門の日常品を買い揃え、そして夜ご飯、神殿内の大浴場に入った後であった。
士門は新しく買った服に着替えて、ディートリッヒは浴場に用意されていた新しいオレンジのラバースーツとジャンパー――ラバースーツは保護スーツ、ジャンパーは翼保護着というらしい──に、身を包んでいた。
「ここですね」
ディートリッヒが足を止める。
そこには、『B-036』というプレートがかけられた扉があった。その文字の下に、6人程の人名が連ねてある紙が張ってある。ディートリッヒ、アデヌ、レイジロー……6人とも全員、見覚えのある名前であった。
士門は思い出す。そういえば、『騒がしい』と言っていたな。複数人いるのか。いや、泊めてくれるだけでもありがたいのだが。
扉を開くと、3人の天使が待ち受けていた。もちろん、全員、士門が見た事のある顔である。
「あー! 昼間、レイジローが連れてきた人間だ!」
部屋に入るなり、3人のうち1人が、士門を指さしてそう言った。
スズキ、ツネハラ、ライダーである。
スズキとツネハラがはしゃぎながら士門の元へ駆け寄り、彼の頬をつまんだ。
「すげー」
士門は思わず硬直する。この2人の雰囲気は正直苦手だった。
その近くで、ライダーがディートリッヒに問いかける。
「今日ここで寝るんすか? 彼」
「そうなんだけど……」
ディートリッヒは呆れた様子で、ツネハラとスズキを見た後、ライダーに聞いた。
「会った事あったの?」
「はい。レイジローが言いふらしてました。」
それを聞くと、ディートリッヒはため息をついた。
「……そう。レイジローとアデヌは戻らないね?」
「はい、重症でしばらく治療室で過ごすらしいっす」
ディートリッヒは、士門に夢中のスズキとツネハラの元へ寄ると、耳を引っ張った。
「士門さん困ってますよ。」
ディートリッヒが手を離すと、2人は耳を抑えながら言った。
「すいません」
「まったく……」
ディートリッヒはボヤキながら、青色の翼保護着を脱いで壁にかけた。その隣には、3人の翼保護着もかけてある。
ディートリッヒの真っ黒な翼が姿を見せた。
「早く寝ましょう。士門さんは、そこの2段ベッドに寝てください」
「は……はい」
部屋には3つの小さい2段ベッドが置いてあり、ディートリッヒが指さしたのは『上レイジロー 下アデヌ』というステッカーが貼られた物だった。さっき、ディートリッヒとライダーが話しているのを聞いたし、やっぱりここになるか。
士門は紙袋を隅に置く。そして、女性のベッドで寝るのも難だと思い、小さいはしごを登って上のベッドに寝転んだ。これが人生初の二段ベッドか、なんて思いながら、丸メガネを枕元に置く。
スズキ、ツネハラ、ライダーが続いてベッドに入ると、ディートリッヒは部屋の電気を消して祈った。
「私達の父なる神様。貴方様の子供がこれから休みます。どうか闇の中、貴方様が共にいて、安らかな眠りをお与えください。どうか、私の愛する……家族、友人をも、貴方様がお守りください。今、貴方様の愛の御手にすべてを委ね、祈ります。アーメン」
3人はそれに続く。
「アーメン」
「アーメン」
「アーメン」
士門も言う。
「アーメン」
その後少し、ディートリッヒがベッドに潜り込む音がして……。
静かになった暗い部屋で、士門は考える。
天使だし、毎夜こういうのをやるのだろうか。
ベースはキリスト教っぽいが、鬼とかもいるし……人間界に一部だけが伝わってる、とかだろうか。
そうだ、アデヌとレイジローはどうしているだろうか。
包帯でグルグルにされていたが、どれくらいで治るだろうか。
もし自分がもうちょっと堂々としていたら……。
その時、不協和音のサイレンがどこからか爆音で鳴り響く。士門は咄嗟に耳を抑えた。
「急々! エステロの街にベルタ率いる吸血鬼軍団が襲撃! 精霊階層天使及び子階層天使は早急に集まり、大隊でエステロの北東まで迎え!」
そんな男の怒号の様なアナウンスが響いた。
「士門さん! ここで、待っててくださいね!」
ディートリッヒは士門へ大声で伝えるが、今にもサイレンにかき消されそうだった。
それから士門を除いた4人は起き上がって、翼保護具を羽織って急い得部屋から飛び出す。
電気の消えた位部屋に、士門は1人ぽつりと残された。
士門はこの1日、ずっと置いてけぼりにされていた様な気分だった。
しばらくしてサイレンの音が止むと、脳までつんざく様な耳鳴りだけがそこに残っていた。