異界混沌記 7.なにもかもあっけなく

「立ち話もなんだが、座るとこもねぇんだ。とりあえず、ベッドの縁にでも座ってくれよ」
 トシヒコにそう言われると、士門は、恐る恐ると座った。
「し、失礼します」
 ディートリッヒは丁重に断る。
「いえ、私は遠慮させていただきます」
「えー。お前がそれでいいならいんだけどさ」
 トシヒコは少しばかり残念そうにしたが、早速、トシヒコがディートリッヒに問いかける。

「最近、どうよ?」

 ディートリッヒは答えた。
「特に変わった事はありません」
「へぇ、そう。無理すんなよ」
「いえいえ、私は人一倍苦労しなければいけない立場ですので」
 ディートリッヒは背筋をピンと伸ばして言う。
 トシヒコと士門は共に、真面目だな、と同じ視線を向けた。

「お前はさ、いつ天国来たの?」
 次にトシヒコは士門へ切り出す。
「えっ、お、俺は、ついさっきです……」
 士門はオドオドとしながら言った。
 いや、ついさっきと言っても、2、3時間位は経っているだろうか。
「天国の事はどこまで知ってんの?」
 トシヒコにそう聞かれると、士門は自信なさげにした。
「あんまりですかね……」
 すると、トシヒコは胸を張って言ってやる。
「よし! 俺がなんでも教えてやる! なんでも聞け!」

 そんなトシヒコを、士門はなんだか頼もしく思った。
 士門はまず1つ、聞いてみる。
「純血、混血って、なんですか?」
 10年前のベルタの事件など、色々聞きたい事はあったが、アリッサがアデヌとレイジローを叱る際、純血・混血という言葉を使っていた。まずはそれの意味を知りたい。
 トシヒコは笑いながら簡単に説明した。
「お前、そんなのも知らねぇのか。そのまま、純血天使は天使と天使の間の子で、混血は天使の他に鬼とか、他の種族の血が入ってる奴だよ」
「鬼ですか?」
 士門が首をかしげる。
「うん。地獄にいる、我儘で真っ赤な肌の民族……真っ青な肌の奴も居たかな」
 トシヒコのその説明からして、士門が幼い頃に聞いた昔話の鬼とほぼ遜色ない物と考えていいのだろうか。桃太郎とか、泣いた赤鬼の。
 キリスト教っぽい世界観だと思っていたが……仏教の要素もあるのか? いや、キリスト教に鬼って……さすがにいないか。
 宗教にあまり詳しくない士門が頭を悩ませていると、トシヒコが問いかけてきた。
「なあ、なんで最初がそれなの?」
「アリッサ様が、アデヌとレイジローを叱る時、そう言っていまして」
 士門のそれを聞くと、トシヒコは気まずそうに顔を歪めた。
「あー、アイツは純血過激派なんだよ。アリッサの言う事はあまり間に受けねぇ方がいい」
「純血過激派?」
「そう。純血家系のお嬢様だからな、アイツ。」
 やはり、そういう差別的な思想もあるのか。混血のレイジローと、それに寛容なアデヌに厳しいのはそれが原因だろうか。
 士門は続けて質問する。
「純血の天使と混血の天使を見分ける方法はあるんですか?」
 トシヒコはそれを聞いて、思わずニヤけた。
「そりゃ簡単よ」
 すると、トシヒコが自分の頭の少ない髪の毛をつまんで引っ張った。
「こんな感じに、純血天使は翼と髪の毛がシルクみたいな白色で、目と天使の輪っかが綺麗な金色なんだよ。で、混血天使は色が違うんだ」
 トシヒコと士門の視線がディートリッヒに向いた。

 ディートリッヒの髪は艶々した黒色で、頭の上の輪っかは赤色。純血天使の条件には全く当てはまっていなかった。
「ディートリッヒさんは、アリッサ様の右腕だと聞いているんですけど、アリッサ様は純血過激派では……」
 士門がそう聞くと、ディートリッヒは顔をキラキラと明るくして答えた。
「アリッサ様は確かに混血に厳しい所はありますが、私には特別なのです! 慈悲深いあの方は私の頑張りを認め、褒美という形で私を副隊長にしてくださ──」
「肉盾だね」
 トシヒコが遮る。
 士門はディートリッヒを可哀想な目で見つめるが。

「他に聞きたい事ってある?」
 トシヒコにそう言われて、士門は気を取り直した。
「じゃ、じゃあ、大天使ってなんですか?」
「知らないだろうなと思ったよ」

 トシヒコは語る。
「天使には9つの階級があって、天使も大天使もその階級の1つなんだよ。天使の基本的な仕事は、悪と戦ったり、人間を天国へお迎えしたりする事なんだけど、仕事をこなして強くなるたびに階級が1つずつ上がっていくんだよ。天使が階級の中で一番下で、大天使はその1個上の階級。まあ、簡潔に言えば単なる天使の上司だな。」
「へぇー」
 そんな物かという気持ちを抑えつつ、士門は口から溢れた様にそう言った。
 アリッサに頭を下げていたアデヌとレイジローの階級は天使だろうか。ディートリッヒも胸に鷹の刺繍がない為、天使かな……というより、士門が今まであった天使は全員、アリッサとトシヒコ以外、天使なのではないか。
 あのナースはよく分からないが……。

 次に士門は、一番聞きたかった事をトシヒコに尋ねる。
「10年前のベルタの事件ってなんですか?」

 3人の間で少しの沈黙が生まれて、士門は少しまずい事を聞いたかなと思ったが、トシヒコは静寂をなかった事にする様に笑った。
「……よし、いいだろう! 教えてやる」
「トシヒコ様! それは……」
 ディートリッヒはそれを止めようとするが、トシヒコの声量に遮られる。
「大丈夫大丈夫、隠さなきゃいけないとこは隠すからさ」
 ディートリッヒは押しに押されて、嫌々トシヒコに話させる事にした。

「まず、前提として、天使には必ず同姓同名の人間がいるんだ。そして、その天使と人間はリンクしてる。その天使が死んだら人間も死んで、その人間が死んだら天使も死んじゃうんだよ」
 そのトシヒコの話に士門はハッとした。
「天使の名前が洋風だったり、和風だったり、まとまりがないのは」
「まさにそうだね。まあ、天使はラストネームが名字だから、反対になる事が結構あってさ。俺も正しくは、ツルゾノ・トシヒコなんだけど……この話はいいか」
 トシヒコは咳払いをして話を続ける。
「それで、ベルタっていうのは、大昔に生まれた女吸血鬼なんだ。こいつは度々、事件を起こしてて、その1つが、十年前の”アレ”だね。777と呼ばれてる」
 士門は、固唾を飲み込んだ。

「10年前、2014年の7月7日。とある天使がベルタに恋して、利用されて──7人の天使の命を奪ったんだ。そして結局、その天使もベルタの手で始末されたんだよ。」
 士門はイヤな予感がする。それでも黙って、トシヒコの話を聞いた。

「そしてな、そのベルタに利用された天使が、お前とリンクしてる天使だったんだ。」

 トシヒコがそこまで言うと、ディートリッヒは士門へ様子を見る様な気まずい視線を向ける。居た堪れないという気持ちがあったのだろう。

「お前は対になる天使を失ってるから死ぬはずなんだけど、その天使は今、お前の守護霊になって、お前を守ってる。吸血鬼は真祖の許可がおりないと死んで守護霊になるって事が許されないから、ベルタの思惑ってのもあるだろうけどね」
 トシヒコの語りがそこで終わると、士門は、マジか、と思った。
 まあ、簡単に言えば、勝手に士門の天使がベルタに惚気けて、勝手に死んで、勝手に守ってきて、それが強すぎる為、今天国に居る訳である。
 単なる悪質な巻き込まれ、としか思えないのは、士門の性格が悪いだろうからか。彼のおかげで士門は今も生きているのだろうが。

「じゃ、じゃあ、アルセンの加護ってなんですか?」
 続けて士門が聞くと、トシヒコはあっけない答えを残す。
「お前の奴みたいに、天使が死んで対の人間の守護霊になる事だ」
 士門はどこか期待はずれいたいな気持ちを隠して、頭を下げる。
「そうですか。ありがとうございます。」

 その時。
「治療が終わったアルよ」
 耳元でそう囁かれ、士門が声もでない位に驚きながら振り返ると、タバコをくわえたナースがそこにいた。
 ナースの言葉を聞いていたディートリッヒはトシヒコへ頭を下げる。
「申し訳ありません。実はついでというか、アデヌとレイジローをこの治療室へ連れてきていまして……2人の様子を見てまいります」
「いいよ。じゃ、またなー」
 歩き出した2人を、トシヒコは手を振って見送った。

 士門は覚悟しながら2人の元へ向かっていた。向かっていたが……、治療された2人の姿を見ると、士門はやはり気詰まりな気持ちになった。
 アデヌはミイラの様に体中を包帯でグルグルと巻かれて、レイジローは首と胴体だけが包帯で巻かれていた。
「寝かせてるアル。起こすな」
 ナースは、アデヌとレイジローを見下ろす2人にそう忠告して、別の患者の元へ向かっていってしまった。

 士門は、治療された2人を見て、本当に自分が情けなくなった。でも、士門は自分に何が出来たのか分からない所もあった。アリッサの暴力を止める、というのが最もであるが、多分、相手は人間じゃないし、一回止めたのにも関わらずまた始まって、無駄じゃないかと思ってしまった所もある。一般人の士門に、何回もあれを止める勇気は持ち合わせていなかったのだ。そんな士門を見て、ディートリッヒはどう思ったのか、声をかける。
「2人は、すぐ良くなるはずです。そんな気を重く持つ必要ないですよ。アリッサ様のアレは……日常茶飯事ですし。」
 士門の腹の虫が鳴った。ここへ来たのは朝で、今は昼下がりである。そういえば、士門は未だ昼食を食べていない。
 士門が腹を空かせている事に気づいたディートリッヒは、励ます様に士門へ明るく言った。
「どこか食べにいきましょう!」

 ディートリッヒは士門の有無を聞かず、腕を握って、ひっぱった。