士門の薄暗い影が踊っている。海の中の魚の様に、ゆらゆらと。
士門は、このメガネのレンズになにか不思議な素材で出来ているのか、と思った。
「おい、あっちだ」
レイジローがそう言って、士門の腕を掴んで、表通りへ引っ張った。
「そろそろ来るわ……」
アデヌがそう呟いたあと、士門は衝撃的な物を見る事となった。
道路を走る1台の白い軽自動車。それに、5m程の巨大で真っ黒な塊がくっついている。頭の様な大きなしずく型の影を中心に、大量の、太さ50センチ程の触手が何本も生えていた。
しかし、それはメガネをずらすと見えなくなる。士門がCGかと疑っていると、隣のレイジローが叫んだ。
「しっかり見てろよ!」
レイジローはダルダルのジャンパーとデニム、サイズが合っていなかったらしいスニーカーを脱ぎ捨てる。
服の下は、全身にピッチリとフィットするオレンジ色のラバースーツで包まれていた。
そして、レイジローはジャンパーの中にしまってあった20センチ位の棒をギュっと握った、すると、どういう仕組みなのか、その棒はレイジローの身長とほぼ同じくらいである160センチの薙刀へと伸びるように姿を変えた。
士門が何か口を出す暇もなく、レイジローが数秒目をつむると、その背中から真っ黒な猛禽類の羽が生え、真っ黒な輪っかが頭に浮かぶ。
士門は驚き、丸メガネを取ったが、その瞬間、レイジローが見えなくなる。再び、丸メガネをかけると、レイジローが目に映る。どういう事だ。
レイジローは影の方へ走っていき、空高くジャンプすると、勢いよくその影に切りかかった。
士門は急いで、アデヌの方を振り返る。彼女も服を脱ぎ捨てて、オレンジ色のラバースーツに身を包んでいた。そして、背中に真っ白な翼と、頭の上に黄金の輪っかが浮かんでいた。そして、35センチ位のシリアンナイフをクルクル回している。
「なんですかこれ?!」
士門は急いで聞く。
「死期が近い人の守護霊だよ。アタイ達はこれを始末するのが役目なのさ。アンタの守護霊はずっとこうなってるけど」
「えっ、俺の守護霊は見えないって」
「あの姿は守護霊の本質じゃあない。本当は、なんらかの動物や人だったりするけど、アタイ達が見れるのは何者かも判別できない影の様なあの姿だけさ」
「そうなんですか……じゃなくて、レイジローさんの!」
「世をしのぶ姿って言っただろう。あれが、本当の姿。そのメガネ越しにしか見えないよ。」
士門が口をぽっかりと開けて驚愕していると、アデヌはなにかを士門に投げ渡した。
「そうだ、これ、渡して置くよ」
「こっ、これ」
それは刃渡り20センチ程の短剣である。士門は銃刀法違反に引っかかるのではないかと思いながら、それを受け取った。
「そのメガネのヨロイにあるボタン押すと、戦える様になるから。気が向いたら押してね。アタイも行くから」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
士門が制止しようとしたが、アデヌも影の元へと走っていく。
士門はどうすればいいのか分からず、黒い影の纏った車を追いかけながら、2人の戦いを唖然として見ていた。
蠢く触手は傷がつく事に黒い液体が舞うが、それは砂の様に風に溶けて消える。切っても切っても減らない触手が2人の元へ打ち付けられると、2人は避ける様に他の車に乗り移る。
レイジローが重い薙刀を振り下ろす時、アデヌがシリアンナイフを振り回すたび、輝く刃の残像が花火の様に見えた。
だが、メガネを取るとそれは何事もなかった様に消える。2人が着ていた服は確かに残っているのに。
ふと、士門はスマートフォンで時間を確認した。バイトには明らかに遅刻する。
「お、俺にもできるんだよな……」
士門は興味本位でメガネのヨロイの近くにある丸いボタンを、ポチッと押した。
その時、メガネの縁が広がり、目を囲う様なゴーグルの形となった。そして、肩甲骨のあたりに体を貫かれる様な少しの痛みが走り、士門はぐっと息を漏らした。
それが収まると、体がスーっと軽くなり、頭の上になにかが浮かんでいるような感覚が残る。
士門の背中には真っ黒な翼が生え、頭には天使の輪っかが浮かんでいた──。
士門は、この姿が近くの誰にも見られていない事を確認すると、その車にまとわりつく影に走りかかってみた。
真っ黒な触手が士門に向かって落ちてくるが──その時、士門は自分の影が勝手に動いたのを見た。それにつられて士門の体は勝手に触手を避ける様に1台後ろの車の上に飛び乗る。
「やるのか! シモン」
レイジローがどこか嬉しそうに言った。
「……はい」
士門はアデヌからもらった短剣を片手に、触手を切り裂く。終わりはあるのかと思ったが、目の前にかすかに輝く紫の玉が目に入った。もしや、あれが核か。
そこで士門は気がついた。そうか、この影は本当は蕾の様な形をしていて、中心には核が眠っているのだ。そして一本の触手を切る事に核を守る触手がどんどん剥がれてゆく。
士門はナイフを両手でギュっと握ると、助走をつけて前の車へ飛び乗り──右方から薙ぎ払う様に触手が向かってくる。
士門はそれを蹴り払おうとしたが、後方からもう一本────いや、違う。それは士門の守護霊である。
士門の守護霊は一本の触手をはたき潰して、士門の通るべき道の邪魔をしなかった。
そして、士門は核へナイフを振りかざす。
左右から2本の触手が降ってこようとしてくるが、背後のアデヌとレイジローがそれを切り落した。
士門の短剣が核に突き刺さった瞬間、車は、赤信号に停車した前の車両にぶち当たる。
そして、真っ黒な影が砂となって風に溶けた──。
士門は、両腕を勢いよく振り下ろした反動で四つん這いになって、脱力する。
「やったな! シモン!」
「初めてのようには見えなかったよ」
全方が大きく潰れた車の上で、レイジローが親指を立て、アデヌは拍手する。
士門は体を動かせないまま、雲の浮かぶ青空を見上げながらこの先を憂いていた。
「どうだ! 力を貸す気になっただろう!」
レイジローがそんな士門を察する事なく言った。どうやら、レイジローらは、士門があの話を嘘だと疑っていると、思っていたらしい。
「……はい、もう貸すんで、一晩待ってくれませんか?」
2人は真実だとこの目で見させて納得させたかったらしいが、士門はただ、ベルタに確認を取りたいだけであった。
「ダメだ! 天国に行ってから休め!」
しかし、2人はなぜだか今すぐに天国と地獄の危機を”ムリヤリ”に、救わせたい様である。士門が最初から断っていたとしても、結局、拒否権はなかったかもしれない。
士門はレイジローの言葉を言葉どおりに受け取り、少しの間を置いてから言った。
「……死ねって?」
アデヌは叱るように士門に言った。
「違うわよ。私達が人間界へ行く時に使う”異界の扉”ていうモンがあるの」
「あぁ…………わかりました。行きます、天国。」
今更真面目にバイトへ言ったって、叱られるだけである。言い訳も、こんなあからさまな嘘みたいな体験しかない訳だし。
士門は今日特別にバックレることとした。
「本当かー?!」
レイジローはオーバーに喜ぶ。
士門が今心配なのは、2人がそんなに必死になって、今すぐ自分を天国へ連れていきたい理由である。