異界混沌記 4.異界の扉

 裏路地に戻ると、士門はゴーグルのヨロイ部分にあるボタンを押して、丸メガネに戻そうとした。
 すると、それをアデヌに制止される。

「ああ、天国につくまでそのままの方がいいよ。身体状態を天使に近づけてるその状態じゃないと、体に負担かかるからね」
「わ、わかりました」
 士門は内心、このコスプレの様な状態が恥ずかしかったが、飲み込む事とした。

 レイジローとアデヌは、ちゃちゃっとデニムとスニーカーを履き、ジャンパーを羽織る。天使の羽はジャンパーの中に隠れ、輪っかだけが頭の上でプカプカと浮かんでいた。
「じゃあ、行こうか」
 アデヌはジャンパーのポケットから、小さな白いチョーク様な物を取り出した。
「なんですか? それ」
 士門が問いかける。
「ポータルよ。持ち運びの」
「ポータル?」
 アデヌの言葉を士門は不思議に思った。

「見てなって」
 アデヌはそう言うと、その白いチョークで適当な壁に自分の身長と同じくらいの大きな円を描く。すると、その内側がまた別の場所につながった。
「ここに入るのよ」
 そう言うと、アデヌはその穴をくぐり抜ける。
「次は俺様だ」
 その次はレイジローが通った。

 士門も恐る恐るその穴を抜けると、その瞬間、体がずんと重くなる。そして、内臓がひっくり返る様な吐き気に襲われ、思わず口を塞いだ。
 そんな士門を見て、2人は言う。
「最初のうちは四次元酔いがひどいよな! 俺様も大変だった」
「何回か通るうちに慣れるからね」
 士門は体につられて重くなる意識のまま、辺りを見渡す。ただただ、そこは真っ白な場所だ。空もなく、地面も固く白い何かで……真っ白な空間な空間が続いているだけである。
 背中には不自然な黒い壁があって、そこについたチョークをアデヌが指で擦って消している。その不自然な壁は、1面しか見当たらず、限界が見えない程高く、長い。まるで、ポータルを繋げる為だけの壁である。

 士門が前を向くと、そこにある物の、あまりの威圧感に唖然とした。

 20メートル程の大きな両開き扉が、1つ立っている。
 豪華絢爛という文字を実現した様な、とても美しい彫刻がいくつも掘られており、士門は見惚れそうになった。それと同時に、その扉との距離はたった十数メートル程なので、押しつぶされそうな圧という物も感じる。
 その扉の向こうには、一面緑の草原へと繋がっており、青臭いとも言える自然の匂いが香ってくる様だった。

 その左右には、2メートル程の扉が2つ立っていたが、その差は明らかである。

「あ、あれは……」
 あの大きな扉について、目を見開いた士門が尋ねると、平然とアデヌが答える。
「言っただろう、異界の扉だよ。大きいのは人間界に繋がるのさ、戻れないけどね。天国へ繋がるのは、横の小さい方だよ」

 コツコツ、という足音を響かせながら、扉の元へ歩くと、アデヌとレイジローの2人は、白く、かすかに黄色に光る扉を通った。
 士門も追いかける様に、そこを通ると、体の重さと吐き気が消え、体が軽くなる。
 そして、見覚えのある景色が視界に写った──

 足が沈み込む、まるで綿あめの様な白い地面の上に立っていて、いつもより濃い青空には雲が見当たらない。少し大きくなった太陽だけが孤独に浮かび、ジリジリとした暑さを放っている。

 ──昨夜、ベルタと話した場所だ。

「ここが天国だよ。もうゴーグル戻していいからね」
 アデヌにそう言われて、士門はゴーグルのボタンを押すと、それは縮む様に丸メガネへと戻った。
 その瞬間、また肩甲骨に痛みが走るが、すぐに収まり、頭の上に何かが浮かんでいる感覚も消えた。
 しかし、体は軽いままだった。

 士門は改めて、辺りを見回す。
 この扉は、なんらかの施設の庭の様な所に繋がっていた。夢の中では何もない空間が続いていたが、外にはごく普通の町並みがあった。
 カフェやレストラン、カラオケの様な娯楽施設などが建てられている。地上にある物と、ほぼ遜色ない形だった。ただ、車だけが見つからない。
 数キロ離れた先には巨大な白い神殿が1つ、堂々と佇んでいる。

「じゃあ、アタイはここで」
 すると、アデヌがそう手を振ってどこかへ行ってしまった。
「あ、あの、どこに──」
 士門はどこに行くのか聞こうとしたが、レイジローに肩を掴まれる。
「さて、まずはお前を連れていきたい場所がある、ついてこい」

 士門がレイジローに連れていかれたのは、とある小さな建物であった。

 ***

「すげー! マジの人間じゃん」
「すごいだろう! 俺様の説得あってここに連れてこれたんだぜ!」

 そこはファミレスである。
 テーブル席で、士門とレイジローが横並びに座り、向かいには輝いた目で士門を見る男2人組が居た。
 士門は、この為に連れてこられたのか、と内心苛立っていた。

「こ、この人間、なんていう名前なん?」
 片方に尋ねられ、レイジローが答える。
「シモンだ!」
「シモン? どっかで聞いた様な……」
 そう首をかしげられると、レイジローは急いで誤魔化す様に言った。
「ききき気の所為じゃないか? そんなことより、ささ、シモン君に自己紹介しなさいな」

 すると、「それもそうやな」と言って、2人組が士門に名乗る。

「俺は、レント・スズキって言います。スズキって呼んでください」
「俺はゴウキ・ツネハラです! ツネハラでお願いします!」

 黒い髪をオールバックにまとめた、顔の長い天使がスズキ。印象としては”とにかく真っ黒”であり、細長い目の中の瞳も黒色、頭の上の輪っかも黒、やはり羽織っているジャンパーも黒色である。
 水色の髪を七三分けにした、丸っこい顔の天使がツネハラである。スズキは全身真っ黒だが、ツネハラはあくまで”水色ベース”というところか。ジャンパーも水色だが、丸い目の中の瞳は黄色みがかった灰色で、天使の輪っかは黒色だった。
 2人とも首元にはオレンジ色がチラリと見えていて、ジャンパーの下は、全身があのラバースーツに包まれているのであろう。

「あ、ああ」
 2人へ士門が軽く会釈すると、スズキとツネハラは大きく喜んだ。
「すげー!」
「声出せるんや」
 士門は、馬鹿にされていないか心配になりつつ、レイジローの様なその日本語名を逆さまにした物はなんなのかと、首をかしげるが、声には出さなかった──

 スズキが士門の髪をワシャワシャと撫でながら言った。
「すげー! 人間、髪かてー!」
 レイジローがその手をはたく。
「はーい! おさわり厳禁でーす!」

 ──この会話の中に割り込む勇気がなかったからだ。
 なにか話題を振られる事もなく、ドリンクバーで入れてきた酸っぱいアイスコーヒーを啜りながら士門はじっとしていた。
 士門は、この3人の話題の中心のはずなのに、割り込めず、置き去りにされている状態である。

 結局、士門が黙ったまま3人の会話は勝手に続き、士門が開放されるのは数十分後だった。

 士門はカフェの外に出た瞬間、何もしていないのにどっと疲労が押し寄せる。
「話せばよかったじゃねぇか。あいつら馬鹿だから、天国は息は薄いから人間は小さい声しか出せないーとか、勘違いしてるかもしれねぇよ。」
 と、レイジローが茶化しながら士門に言ったが、士門はため息をついただけでなにも返さない。

 するとその時、レイジローの元へ1人の男が駆けつけた。
「おい、ジロちゃん!」
 その様子はどこか忙しなく、焦っている様だが、士門は、レイジローは友達が多いんだな、と軽く心の中で思っていた。

「おう、ライダー! どうした」
 レイジローがライダーと呼ぶのは、白い髪を短めのソフトモヒカンにした、黄色い瞳の男であった。頭の上の輪っかは黄金で、ジャンパーの色は黄緑である。

 ライダーは冷や汗をべったり垂らしながら、レイジローに言った。

「アデっちゃんがアリッサ様にシバかれてるぞ!」

 その言葉に、レイジローも士門も思わず「えっ」と声を漏らした。
 士門は、そのアリッサが何者か全く知らないし、アデっちゃんとやらがアデヌと聞いた訳ではないが。

「場所は神殿A-147! ジロちゃんと……シモンさんも呼ばれてるぞ! 早く行った方がいい!」

「お、俺も?」と士門が思わず聞くと、士門はなにかを肩にかけられた。
 後ろを振り向くと、レイジローがジャンパーを脱いでいて、士門の肩にかけられたのはそれの様である。
 レイジローは士門の脇を掴んだ。
「飛んで行ったほうが早いからな。抵抗するなよ」
「え? え?」
 士門が困惑していると──

 ──黒色の翼をはためかせ、レイジローは空高く飛び上がった。
 地面から100m程離れる。颯爽と、ものすごいスピードで進んでいく。

 士門は下を見下ろして、思わず悲鳴を上げた。
「ウワーッ!」
「うるせぇな……別に死なないぜ。下、雲だし」
「い、いやいや! そうじゃなくて!」

 2人は、風を浴びる様に受けながら神殿へ向かった。