士門は命がけで神殿へとつくと、地に足ついた瞬間倒れそうになった。
しかし、レイジローに背中を叩かれ、なくなりそうな意識を戻し込む。
「いくぞ」
レイジローはそうとだけ言い、士門を後ろに連れて、神殿の中に入った。
太陽が覗き込む神殿の姿は非常に神秘的で、直接陽の光を浴びないので少しばかりは涼しい。レイジローと士門は一切の会話なく、ただただ進んだが、変な気まずさといった物はなかった。
士門が内観を眺めて緊張しながらもいい気分になっている間にも、足は地下へと向かっていた。
地下神殿も中々趣きがある物だと思っている内にも、2人は段々とそこから逸れていき、最終的には全く神殿らしくない場所へとついた。
どこか期待外れだ、という気持ちと、緊迫感を胸の奥に押し込み、士門は辺りを見渡す。そこは、四方がコンクリートで出来た延々と続く廊下であり、左右の壁には木製の古びたドアがズラーっと並んでいる。ドアの1つ1つに文字が掘られており、『A-145』『A-146』……『A-147』で、レイジローの足が止まった。士門も釣られて立ち止まる。
「いい……ですか、この部屋には『アリッサ・ヘレナ・ブロイラード様』という大天使様がおり、アデヌ……さんを、おシバ……お叱りになっていらっしゃる。シモン……さんも、気をひきしめ、ご無礼な事はなさらない様にお願いいたします」
レイジローは、馴れていない敬語で言った。
「分かりました」
士門はそうとだけ答える。
レイジローが扉を2回ノックした。すると、向こうから強気な女の声が聞こえてくる。
「誰だ?」
「レイジロー・クズミでございます」
「マツトリシモンは連れてきているな?」
「はい、勿論です」
「入れ」
レイジローがゆっくりと扉を開けた。その瞬間、士門の視界に入ってきた光景は、ある程度は予想していたが、かなりショッキングな物であった。
3畳程の、やはりコンクリートで出来た、何もない部屋だった。
そこで、床に手をつけて頭を下げているアデヌを、女が踏みつけている。
女は、アデヌから足を離して言った。
「遅かったな。クズ共」
そのアリッサという女は、中巻きのクセがついた白い髪を腰まで伸ばしていた。顔つきは普遍な物だが、への字の形をした口と、ギラッとした金色の瞳が放つ鋭い視線からは、どこか”キツさ”というものをを感じる。そして、黄金の天使の輪っかが頭の上に浮かんでいた。
羽織っている真っ赤なジャンパーの胸元には鷹の入れ墨が縫っており、足元には革のブーツを履いている。ズボンは履いていなかったが、まあ、オレンジのラバースーツが露出しているだけだった。
2人はアデヌの様に平伏しようとするが、アリッサに「その必要はない」と制止される。士門はその時、ピリついた空気を察する。
重圧に押しつぶされそうになっているレイジローに、アリッサが嫌味っぽく問いかけた。
「その人間を、わざわざ天国へつれてきてくれた訳を教えてもらおうか。コンジ君」
コンジ、というのは蔑称だろうか。アデヌが顔を上げてレイジローを庇う。
「お言葉ですが! ……その様な差別用語は……不適切かと申します」
「黙れ! 純血天使失格のクソアマが!」
すると、アリッサはアデヌの髪を掴み、肩を思いっきり踏みつけた。アデヌはただ必死に声を我慢する。
「アリッサ様!」
そうレイジローが止めようとすると、アリッサはギラリとした視線を向ける。
「黙れ」
アリッサは次にレイジローの元へ詰め寄ると、胸ぐらを掴んだ。レイジローの身長は160センチなの対し、アリッサは身長170センチ後半なので、レイジローの体が少し持ち上がる。士門が焦りながらも何も出来ずにいると、アリッサはレイジローに問い詰める。
「いいか、レイジロー。人間を巻き込むなというのは、天使だけでなく地獄の鬼も基本にしている。悪魔との混血児ともなると、こんな事も分からなくなるのか。上司の私が、納得する様な、この人間をここに連れてきた言い訳を教えてくれ。」
レイジローは汗ばみながら答えた。
「アデヌから聞いたんです。10年前の──吸血鬼ベルタの事件。」
アリッサはレイジローから手を離し、焦った様子でアデヌの方を振り向いた。
「混血児ごときに、何を話した! このコヨクが!」
地面に落ちたレイジローは、その言葉に眉を顰めながらも、黙っていた。アデヌの話を聞く為に。
アデヌは語る。
「全てでございます。吸血鬼らの襲撃で数多の天使・鬼が死亡していますが、我々は未だ一矢報いる事が出来ておりません。しかし、アルセンの加護を受けたこの男がいれば、この状況は大きく一変するでしょう」
それを聞くと、アリッサはアデヌを再び踏みつける。
「馬鹿な! ああ、本当に馬鹿馬鹿しい……この人間を巻き込む事までがベルタの思惑だとは思わないのか?!」
そう頭を悩ませながらも言い放つアリッサに、アデヌは頭を上げ、立ち上がりながらきっぱりと言い張った。
「それはそうでしょう」
「ならなぜだ?!」
アリッサはアデヌの胸ぐらを掴んだ。アデヌはつま先立ちの形になり、壁に手を当てて体のバランスを取る。
「彼がアルセンの加護を授かったのには必ず意味があるはずです。吸血鬼がわざわざ彼に力を与えたのは……彼を戦力の一部にする考えがあったから。彼を先に手に入れた事が、ここから先、ベルタの思い望まない展開にする始まりなのです」
士門は、このアデヌの言葉に、あえて口を出さなかった。アルセンの加護……10年前の吸血鬼のベルタの事件……知りたい事は沢山あったが。
もし、ベルタが士門を吸血鬼側として戦わせたいのなら、10年前にアルセンの加護とやらを士門に預けた日から夢に出て好印象を与え、昨晩の願いで真実を告白する……みたいな流れだったのかもしれない。なんとなく、辻褄はあっている気がする。
士門が心配なのは、今明確にベルタと敵対して、アルセンの加護とやらを解かれる事なのだが。もしかするとその加護とやらが妙に強いらしい守護霊の正体なのかもしれない……というより、多分確実そうなのだが。
アデヌが問いかける。
「このまま、仲間が死ぬのを見過ごせと?」
それに対し、アリッサが冷たく言い放した。
「最終的に勝てばいいのだ」
アデヌは思わず、下唇はグっと噛んだ。
「この調子じゃ……何百年かかるか!」
そう叫んだアデヌの目から不意に涙が溢れる。
「黙れ! 口答えするな!」
アリッサはアデヌの右頬に拳を入れた。蛍光ピンクの液体が、アデヌの鼻からタラリと流れる。
それを見たレイジローが顔に青筋を立てた。
「もう我慢ならねぇ!」
レイジローがアリッサの元へ殴りかかった。士門は思わず「お、おい! ちょっと」と声を上げたが、間に合わず。
レイジローの硬い拳がアリッサの後頭部に直撃した。
後から来る拳の強烈な痛み、平然な顔をしながら振り返るアリッサ……レイジローは血の気が引ける様な感覚がした。
「すっ、すみません!」
レイジローはすぐさま頭を下げる。
アリッサがレイジローの髪を掴んだ時、士門は勇気を振りぼって声を出した。
「お、おやめください!」
3人の目線が士門に集まる。
士門は、今になって冷や汗を大量にかいた。ヤバい、どうしよう。
士門は脳みそが真っ白になった感覚だった。
「すまないな。まだお前に聞く事があった」
そんな士門にアリッサが声をかける。
「はっはい!」
士門は思わず背筋をピンと立てて、気を張りながら答える。
「ふん、元気あるな」
アリッサが鼻で笑うと、士門はなにも考えず勢いよく頭を下げた。
「あっありがとうございます!」
アリッサは本題の様に話し始める。
「シモン。お前はもう人間界には戻れんぞ。まぁ、記憶を消せば戻してやってもいいが……どうしたい? お前は」
「て、天国に残ります」
士門はもう引き下がれないと思っていた。個人的に知りたい事も沢山あったし。
アリッサはそんな士門の言葉を聞いて、ため息を1つこぼした。
「土が寂しくなったらいつでも言ってくれたまえ。喜んで帰してあげよう」
そう嫌味っぽく言った。
次にアリッサはまた、士門に別の質問を問いかける。
「さて、もう1つ聞くが、そのメガネはなんだ」
士門は正直に答えた。
「レイジロー……さんから、もらった物です」
アリッサの視線はレイジローの所へ変わった。
「説明してみろ」
レイジローは頷いた。
「は、はい。これは、人間の体を一時的に天使の物へ近づける……妖界の道具です。」
「これで何をした」
レイジローはどこか後ろめたさを感じながら答える。
「扉の間を通る際に使用したのと……1体の守護霊と戦わせました」
その言葉を聞くと、アリッサは重々しく問いかける。
「保護スーツなしで、か?」
後ろめたさを感じながら、レイジローが答える。
「…………はい」
その時。アリッサは勢いよくレイジローを蹴り飛ばした。レイジローの体が勢いよくコンクリートの壁にぶつかる。
「馬鹿じゃないのか! 保護スーツの必要性はお前が一番知っているだろうに!」
アリッサがそう怒鳴ると、後ろに立つアデヌが頭を下げた。
「申し訳ありません!」
アリッサはそれを見下ろすと、舌打ちをひとつした。
そして、アデヌの頭を掴んで、コンクリートの壁に勢いよくぶつけた。悲痛な悲鳴が上がる。
また、蛍光ピンクの液体がアデヌの頭から流れてくる。
士門は、どうすればいいのか、分からなかった。さっき止めたのに、なぜ。
多分、アデヌの頭から流れてるピンクの液体は血であろう。すぐ止めるべきなんだろうが……。
今の士門は喧嘩を止めにくい立ち場である。アリッサの言ってる事も正当だと思うし、そもそもアリッサがまた2人を殴りだしたのは、士門をどこか部外者だと思っている節もあるからではないか。いや、どうこう考える前に止めなければ。
「あ、あの──」
士門がそう声を出しかけた時、扉がノックされる。
「ディートリッヒ・フォン・バイエルンです」
無骨な男の声が聞こえた。
アリッサは怒鳴る。
「何用だ! 邪魔しないでもらえるか?!」
「いやでも……」
そのディートリッヒという男が、扉を開けて、恐る恐る中を覗いた。
「やりすぎではないですか?」
そう言われると、アリッサは黙り込んだ。
「と、とりあえず、手当てしますので……2人とも、一旦医務室へ連れていきますね……」
「……勝手にしろ」
そうアリッサは冷たく言った。
士門はディートリッヒに声をかける。
「お、俺は怪我してないんですけど……ついてっていいですか? 心配で」
「いいですよ」
ディートリッヒは、アデヌとレイジローを米俵の様に抱えると、士門に言った。
「扉を開けてくれませんか」
「あ……はい」
4人は部屋を後にした。