異界混沌記 6.ディートリッヒとトシヒコ

 2人を抱えたディートリッヒと、士門は横に並んで歩いていた。

 士門はあの2人のやられ様を見て、心配していた。特にアデヌは頭を打ち付けられていたので、不安である。
 2人の顔を覗いてみると、気を失っているのか、体力がないのか、目をつぶって黙ったままだった。

 次に士門は、恩人であるディートリッヒの顔を覗く。
 黒髪をツーブロックに刈り上げており、年齢は40代後半ほどだろうか。角張った顔には、皺が刻まれている。
 瞳は真摯に前を向き、しっかりとと閉じた口からはその真面目であろう性格が察せる。よくも悪くも頭の上の輪っかが似合わない。
 青いジャンパーを羽織り、腰にはもう1つ黄色のジャンパーを巻いていた。

「すごいですね」
 士門がどこか躊躇いながらそう言うと、ディートリッヒは首をかしげた。
「なにがですか?」
 その無自覚な謙遜を見て、士門はさらに自分が情けなくなった。だが、自分はただ連れられてきただけだと、言い聞かせて気を保つ。
「あの……俺、あの人、止められなくて」
 士門の言葉を聞くと、ディートリッヒは爽やかにはにかんだ。
「仕方ないですよ。喧嘩っていうよりパワハラだし、アリッサ様の大天使の肩書は本物ですし、止められる人はそういないですよね」
 士門はなんだかディートリッヒが輝いて見えた様だった。こんな出来た人がいるのかと、憧憬の意を抱く。
 年上だから頼りがいがありそうに見えるのもあるだろうが。

 すると、ディートリッヒが切り出した。
「そうだ、名前を聞いても?」
 士門は緊張しながら答える。
「マ、マツトリシモンです。」
 それを聞くと、ディートリッヒは気まずそうに反応した。
「ああ、あの……だからあんなに……」
 アデヌから強力な守護霊で有名だと言われてはいたが、この態度からするに10年前のベルタの事件の関係人物としてなにか思われているんじゃないかと、士門は悩ましくなった。アリッサのあの怒り様は、よりによって連れてきた人間が俺だったからだろうか。
 そんな事を考えている間にも、ディートリッヒは改めて肩書きとともに名を名乗る。
「私は、ディートリッヒ・フォン・バイエルンと申します。アリッサ大天使が率いる第十一天使部隊の副隊長です。よろしくお願いします。」
「あぁ、よ、よろしくお願いします」
 士門は声には出さずに驚いたつもりではあったが、少なくとも動揺が態度に現れた。
 アリッサの右腕的な存在として解釈していいのだろうか。少し、そうは思えない、なんて士門は考えてしまった。

 その間にも2人の足は階段を登り、廊下、地下神殿を抜け、地上へと出る。
 体を反射する白い床を歩いて、士門は『治療室』とかかれた3m程の扉に手をかけた。

 真っ先に視界に映ったのは、1人の女であった。
「どしたアル?」
 書類が山程積まれた事務机に向かうナース服の女がタバコを吸いながら2人に問いかける。

 そこは、ベッドがズラーと並ぶ部屋で、数十人程天使が眠っていた。白い地面を汚さない様に真っ赤なカーペットが敷かれており、壁にはいくつかの絵画や、『全治全能』という、ダジャレっぽい紙が飾ってあった。
 他には女が向かう事務机とオフィスチェア以外に特徴的な物はなく、医療キットが複数個あるだけだった。

 ナース姿の女は、白い髪をドーナツヘアという様に結び、ぷっくりと膨らんだバラ色の唇が印象に残る顔立ちである。
 顔にはいっぱいの痛々しい切り傷がついており、白い翼は片方しか生えていない。歴戦の痕という物か。

「ディートリッヒ……またアリッサ様のパワハラの尻拭いアルか?」
 女がディートリッヒにそう聞くと、彼は焦った様子で否定する。
「違いますよ! いや、違いませんけど……尻拭いという言い方は控えてください」
「あってるだろ。それで……その人間は誰アル」
 女は、長いまつ毛が印象的な黄金の瞳で士門をギロっと睨む。士門は、真正面から殴られた様な衝撃を感じた様だった。
 ディートリッヒは士門をかばう様に紹介する。
「タカシ君です」
「違う。なにか感じる。」
 が、女は即座に否定した。
 ディートリッヒは、慌てずに説明する。
「彼のこのかけているメガネには、訳ありでして……」

 そう言われると、女は全身の力を抜いた。

「なーんだ。ライダーんちのアレみたいな奴アルね」
 女は立ち上がって、歩き出した。
「ささ、早く怪我人の治療するアル。このベッドにその2人を寝かせろ」
 そう言われると、ディートリッヒは頷き、2つの空いたベッドに2人を寝かせた。

 女はアデヌのベッドの前に立つと、両手を前に出して、なにかをブツブツと呟き出す。
 すると、女の髪が逆立ち初め、アデヌの体の下に白い魔法陣が光った。

「前額の骨と左鎖骨が骨折してる。特に前額の方は粉々。それと脳震盪、頭から出血。全身に内出血。頬、首元に軽い擦り傷少し……アル」
 女が平坦な声で独り言の様に呟いたそれを聞くと、士門も体が痛くなる様だった。それを汲み取ったのか、女は士門へ言う。
「なめんなよ、力天使」
 その瞬間、女はアデヌのジャンパーを脱がし、オレンジのタイツを引き裂く!
 アデヌの裸体が見えそうになった時、ディートリッヒが士門の肩を引っ張った。

「アレ? いたいけな男子にサービス……」
 心惜しそうに女が2人に呼びかける。
「そういうのいいので! 2人の治療が終わったら呼んでください!」
 ディートリッヒは怒鳴る様に返し、その場から離れた。士門は心惜しさを飲み込んだ。

「私はトシヒコ様に翼保護着を届けにきたんです」
 そう言いながら、ディートリッヒは腰に巻いた黄色いジャンパーを外して抱え、2人はとある1つのベッドへ向かった。

 そのベッドに居るのは年齢50代程の男である。
 顔に深い皺を刻んだ鷲鼻で、前髪から頭頂部にかけての毛はほぼない。
 トシヒコという男は、ディートリッヒを見かけると上半身を起こして、笑顔になった。

「よぉ。待ってたぜ、ディー。」
 ディートリッヒはそう笑うトシヒコに、丁寧にジャンパーを渡し、頭を下げる。
「すいません、トシヒコ様。訳あって壊れてしまいました」
 トシヒコはそんなディートリッヒの頭を抑えた。
「よそよそしいじゃねぇか、俺とお前の仲だろ?」
「ですが、恐れ多いですよ」とディートリッヒが頭を左右に振ると、トシヒコはまた笑う。 「お堅いなぁ」
 士門は、ディートリッヒからトシヒコに向ける態度に違和感を持ちつつ、黙っていた。
「ところで、なんでソイツがここにいんの? そのダサメガネは?」
 トシヒコは士門をチラリと見て、ディートリッヒへ彼について問いかける。士門の正体を知っている事が前提の様に。
 ディートリッヒは答える。
「多分、アルセンの加護を利用する為だと。メガネはよく分かりません。」
「利用ってー、誰が考えついたのー。それ」
「分かりません。昔からそういう考え方はありました。」
「えー」
 冷静な態度のディートリッヒとは裏腹に、トシヒコはオーバーに反応する。
 士門はトシヒコを愉快な男だと眺めていていた。

「おい、お前」
 すると、士門はトシヒコにそう話しかけられた。士門は「はっはい」と声を震わせながら返事する。
「俺、トシヒコ。よろしくな」
 そう笑うトシヒコに肩の荷をおろしながら、士門も名乗ろうとする。
「お、俺は──」
「お前の事は知ってるよ。」
 ──すると、そんな言葉に遮られた。
「あ、ありがとうございます?」
 士門も不思議に思いつつ頭を下げると、ディートリッヒと同じ様に頭をかなり強い力で押さえつけられる。
「お前もやめろよ堅苦しい」
 そう笑っていた。

「いやー、改めてディー、俺のジャンパー、届けてくれてありがとよ」
「滅相でもありません」
「おいおい、真面目に磨きがかかってるじゃねぇかよ」

 トシヒコは、ゲラゲラと笑い声を上げながら、翼を折りたたんでジャンパーを羽織り、チャックを締める。
 士門はその姿を見た時、驚いた。

「トシヒコ大天使、復活! ……てな」
 胸元に鷹の刺繍が縫ってある。アリッサの物と全く一緒だった。

 はしゃぐトシヒコをディートリッヒが抑える。
「無理をなさってはダメですよ」
「大丈夫大丈夫。ほぼ全治みたいなモンだし、どーせ老体の俺は後方で戦わされるんだ」
 手足を伸ばしながら、トシヒコはそうぼやく。

「そーだなー、とりあえずアレだな。ちょいと話そうや。せっかく会ったんだしな」
 士門の目には、ヘラヘラしたトシヒコが妙なオーラを発している様に見えた。